乙女文楽の歴史


大正時代の末期、今から約80年前に、女性が一人で一体の人形を遣うことを目的に考案されました。 

一人遣いの人形芝居は、差し込みの法や片手人形の形式で、現在の三人遣い(文楽)となる以前から行われていましたが、大きさや形など今の文楽い近い人形を、三人で遣うものを何とかして一人で遣えるようにしたいと、人形操作に工夫を加え、一人でしかも少女が遣うことから、この一人遣いを「乙女文楽」と称しました。


当時は新世界のラジウム温泉を本拠地とする林二輝氏一座、片山栄治氏一座、吉田光子氏一座、 この三座が活躍していました。 (『上方』より:写真は片山氏一座の乙女文楽)


乙女が一人で手軽に上演できる強みはあるものの、人形遣いが一人前になるには数年

かかるうえ、 戦争などの社会的事情が重なり、その火を消してしまっていました。



この大阪に生まれた文化である乙女文楽を復活させようと、 平成4年、当時相愛大学助教授であった故土井順一氏が吉田光子氏を講師に招き、乙女文楽の公開講座を開かれたことが、 吉田光華の出発点になりました。(詳細はプロフィール参照) 

 


人形の遣い方


まず、人形は腕金という道具で支えています。


頭(かしら)は、人形の両耳の後ろに、U型の釘を打ち込み、ヘアバンドした人形遣いの耳の後ろから引っ張った紐を、そのU字の釘に引っ掛けます。

人形遣いが首を前後左右に動かすことにより人形の頭もその通りに動く仕掛けになっています。


人形の体重は腕金で支えていますので、人形の右手は人形遣いの右手で、

人形の左手は左手で遣います。


足は、人形の着物の裾を、人形遣いの足(袴に穴を開けています)につけます。

人形遣いが歩くと、人形が歩くという仕掛けです。


このように、文楽の三人遣いとは遣い方が全く異なります。

人形遣いが踊り、舞うことによって、人形も踊り、舞う。

人形遣いと人形は一心同体、体も心も通い合っての芸能表現といえるかもしれません。


※写真は後日アップします。